78. 祖父から父へ (1999.5.2)

祖父は家長だった。
食事は、私達とは異なる部屋でとる。
風呂は一番に入る。
意見は絶対で、誰もさからえない。

祖父は背が高く、180cmもある。
亡くなった時に合う棺桶がなく、特注してもらった。
明治生まれの180cmは大男だ。でも、私も父も弟も大きくない。どうしてしまったことか。

祖父は、「ご飯は釜で炊くのがうまい」を信条とした。
昭和45年頃までずっと、家にはカマドがあり、薪をくべてご飯をたいた。
祖父が亡くなった後、薪の入手が困難になり、断念する。
学校の授業で、「皆さんの家は、何でご飯を炊きますか?」「電気?ガス?」ときかれた。
「薪で炊きます」と言えずにモジモジしてしまったことを記憶している。
あ〜あ、なんてうちは古臭いんだろ。時代劇がかっている。

祖父は、新しい物が好きだったのに、決して浪費家ではなかったようだ。
着物(ずっと和服で通した)は、いい物をこしらえ、長い間着る。必要な枚数だけそろえて、大事に着る。その半面、びっくりするものを買って帰り、家族を仰天させることもしばしばだ。

私が生まれる前にもそういうった事は多々あったようだが、私の最初の記憶ではピアノだ。
当時、オルガンが流行りで、それを買いに出かけた。
すると届いたのは、大きなピアノだ。
置く場所もないし、まだ2歳の私には、それがどれだけ巨大に見えたことか。

しかし誰も祖父にはさからえない。
父は、自分も祖父のようになるものと思っていたらしい。
現実は甘くない。

オヤマ家の長男は、祖母に育てられるケースが多く、一世代ずつ古いのだ。
父は、昭和ひとけた生まれだが、明治時代の教育で育てられた。
「男子厨房に入らず」を信念としている。

家に手伝いの人がいなくなった頃のある食事どき、
「醤油!、しょ〜〜ゆっ!」と叫んでいる父に
「醤油くらい自分でとってよ」と娘。
「男に醤油をとらせるなんて、この世も終わりだ」と文句をいいながら、戸棚に手を入れた。
途端に醤油瓶が倒れて、こぼれる。
「お・とぉ〜〜さぁ〜〜〜ん」ブーイング。

あれから30年経つ今も、父はあまり進化はしていないな。
お父さん改造計画を密かに練っている。
祖父は、どのようにして、自分が絶対と思わせることに成功したのだろう?