104. まぶりの神になった祖母 (1999.6.14)

1999年6月8日 祖母が逝った。
ひとつ屋根の下に暮らしていたから、思い出がたくさんある。
やっぱり最初に思い出すのは「まぶりの神にならはれせ」だな。それを書いてみたい。

春・秋の彼岸と盆には、祖母と2人で墓参りに行く。
通常は、自分の家の墓にだけ参るのだろうが、祖母は何件もまわる。

まずは、うちの墓。それから隣接する祖父の姉の墓、本家の墓、親戚の墓、ご近所さんの墓、仕事関係の墓と、その数は100件以上に及ぶことから「100カ所参り」と呼んだ。
山を3つは歩き、6時間はかかる。朝の5時からまわる。

近い親戚の墓には、花をたむけ、線香をともす。
遠い縁の方の前では、ただ手を合わせる。
そして「来たよ」という印に、手製の名刺を置いていく。

祖母は墓前で「これっさ、これっさ、○○はん、まぶりの神にならはれせ」と語りかける。
(これこれ○○さんや、私達を守って下さいね、という意味)

どの墓でも平等にそう唱える。必ず、唱える。略すことはない。
祖母の身体が弱くなり、墓参りの担当は両親に代替わりした。私は相変わらず、お供する。

私は、祖母のかわりに「まぶりの神にならはれせ」と唱えることにした。
これを言わないと、墓参りが完結しない。

祖母は今頃は祖父に会って、いろいろな話をしているだろう。
祖父が亡くなって30年。

「ひ孫が出来でっさ、跡取りが出来たでば」なんて言ってるだろう。
「パソコンっつものがあって、インターネットが流行ってんのっさ」なんて言っているのかな?
うまく伝えられずに、やきもきしているだろう。
祖父のことだから、「なにっさ、そいずは?」とつっこみを入れているかもしれない。
いいや、それとも「もう、知っている」なんて言っているかもしれない。

「おばあちゃん、まぶりの神にならはれせね」       by.リエコ