124. ハマトラ時代 (1999.8.30)

懐かしいついでに、もうひとつ「ハマトラ」のことを白状したい。
私が上京した年、「JJ」というファッション誌が季節号から、毎月号になった。
毎月号を記念した特集が、「ハマトラ」ファッション。

横浜トラディショナルを略して、ハマトラ。
短めのスカートに、ペッタンコの靴、ハイソックスがポイント。

元町ブランドの「ミハマ」「フクゾー」「キタムラ」のファッションを、おしゃれに着こなすハマっ子から発生した「ハマトラ」ファッションは、東京でブレイクした後、それ以外のブランドも含めて「ハマトラ」と呼んだ。
その定義は、いつも雑誌「JJ」が決める。

「JJ」は、モデルに一般人を起用し、「これを持ってま〜す」という宣伝文句で購買意欲をかきたてた。
グッチのバッグをいくつ持ってるとか、ま、この辺は今も変わらないのかな。
そして、恥ずかしながら、私もそんな中で生きていた。

そんな時代のことはすっかり忘れていたある日、何気なくテレビを見ていたら、
「20年前に大流行のハマトラファッション」とアナウンサーがしゃべり、画面に映し出されたのは、表参道を闊歩する3人のハマトラ娘。
「なんか、見たことあるなぁ〜」と思っていたら、
それは、私と友人が楽しげに歩く姿なのでした。ヒィ〜〜〜(絶句)ほんの数十秒の出来事。

当時、私はニュースの中の街の風景として、チラリとテレビに映っているらしい。
友人・知人から「見たよ」と言われたし、そんなことは東京に住んでいれば、たまにある。

しかし、自分で自分を見た事がない。というのも、当時住んでいた女子大の寮には、テレビは食堂とロビーに1台ずつ設置してあるだけ。500人近くいた寮生のほとんどは、テレビを見ないで暮らしていた。

テレビの中の20年前の私は、屈託がなく、天真爛漫な人でした。
本人が見ても別人としか思えない。
この時の知り合いの皆さん、今の私を見てもわからないだろう〜なぁ。