132. 弁当の思い出---2 (1999.9.20)

弁当の楽しい思い出は、高校生の頃だ。
うちは女子校だから、弁当の時間は、おしゃべりしながらおかずを交換したりして、楽しくいただく。

ある日、チャリが、おかずを隠すようにして食べている。
余計、目立つ。
「チャリ〜、どうしたの?」と見ると、弁当箱の中が黄色一色になっている。
よくよく見ると、大きめの弁当箱に卵焼きしか入っていない。

「ゆうべ、かあちゃんと喧嘩したら、弁当作ってけんねのっさ。ほんだがら、自分で作っぺって思ったっけ、卵焼ぎしか出ぎないんだっちゃ」
(昨晩、母と喧嘩したために、お弁当を作ってくれない。しょうがなく自分で作ろうとしたら、卵焼きしか作れないのだ)と言う。

いやぁ、あの大量の卵焼きは圧巻である。
私達は、笑いながら、おかずを交換する。

しかし笑い事ではなくなる。何日過ぎても卵焼きなんだ。
しかもチャリが作っているから、お世辞にもうまいとは言えない(笑)。
「チャリ、まだ喧嘩してんの?」
おかずを見れば、どういった状況かが把握できる。
私達は、「謝った方がいいでば」と説得する。
ある日、卵焼き以外のおかずが入っているのを見て、言わずとも仲直りしたことがわかる。

さて、当時の私は、偏食がひどかった。
「あれ・嫌い、これ・嫌い」とわがまま(今は、その反動か、なんでも食べる)。
「梅干しが嫌い」とわかると、母は、必ず、弁当に梅干しを入れる。
私は、梅干しと、それがついて赤くなった部分を綺麗に残す。

これが何日も続く。
母と娘の梅干し対決。
すると、ある日、弁当箱を開けてびっくり。
白いご飯の上に、ずらりと梅干しがしきつめられている。
ご飯を食べようとすると、どうにもこうにも梅干しを避けて通れない。

こっちは、食べ盛りの高校生だから、お腹がすいてしょうがない。
しょうがないから、梅干しを食べる。
これが何日か続き、とうとう私は梅干しが食べられるようになったのである。
この対決は、母の圧勝に終わる。
これに気をよくした母は、私が嫌いなものを毎日、弁当に入れるようになってしまった。
あ〜、楽しいお弁当の時間が、またまた恐怖の時間と化した。