138. あいまいな記憶力 (1999.9.28)

30代も後半になった。
つい昨日のように思う20歳の頃が、もう20年近く前の事だ。

もともと記憶力には自信がない。
それが、近頃、点としてとらえていることに気がついて、愕然とする。
時間軸の上に、きちんと並ばなくなっているのだ。

数日前に、この「よた話」に「地震の恐怖」を書いた。
1978年(昭和53年)は、地震の多い年で、私は、「揺れることへの恐怖心」を持った。
恐怖の感情は鮮明に覚えているし、その時、誰がどうしていた、なんて、どうでもいい事もハッキリと覚えている。しかし、それらの時間軸があいまいだ。

2月と6月に大きな地震が発生した。
kikutaさんが調べてくれた「地震の事典」によると、

発生日
時間
北緯
東経
深さ
マグニチュード
震央地名
被害等級
2月20日
13時36分
38.75
142.2
50
6.7
宮城県沖
6月12日
17時14分
38.15
142.17
40
7.4
宮城県沖

このうち6月は、仙台という都市部で大災害となり、死傷者が出た。
ビルが倒れ、それをテレビで何度も放送し、脳裏に焼き付く。
それは「宮城県沖地震」と命名され、歴史の1ページとなる。

2月の地震は、幸いに被害がなかった。
被害がないから、ニュースで取り上げらず、忘れてしまう。地震には名前はつかない。

このことを20年経って思い起こした時に、2つの別のものが、1つの記憶として書き換えられてしまった。

記憶はこうだ。
「学校で一度大きな地震が発生し、早く帰され、家にいると、また大きな地震が起きた。これが宮城県沖地震(誤)」
授業中に地震が発生し早く帰された事も事実、家にいた時に地震が発生したことも事実。
だが、その間に4ヶ月近い歳月が流れていた。

記憶が違っていることを気づかせてくれたのは、イサヲさんからのメールだ。
そこに「宮城県沖地震」は、1978年(昭和53年)で、季節は冬ではないことなどが記されていた。

おかしい。
「学校で、ストーブの火を消さないといけない」と強く思ったし、家でもこたつに入っていた。

インターネットを丹念に探した。
インターネットは、この2〜3年の情報量がすごい。
しかし、そこから前の情報は、スコ〜ンとない。大きな歴史的なこと以外を探すスベがない。
歴史に残る「宮城県沖地震」の発生日は6月ということが判明した。6月は学校にストーブはない。やっぱり、おかしい。

「そんな〜〜〜、あの冬の地震はまぼろしだったのだろうか? あれは何........?」
お手上げになってしまった私は、「ご存じの方は教えてください」と掲載した。
すると、上記の表の数値をkikutaさんが教えてくださった。
掲載してから、メールをいただくまでに10時間も経ってはいない。
あらためてインターネットの威力を見せつけられた思いがする。

そして、人間の記憶なんて、これほどあてにならないものか、と痛感した。
6月の地震の時は、たしかにこたつにいた。
今はわからないが、当時の気仙沼は6月でも寒い日があり、実家では7月になるまでこたつ・ストーブに火が入る。それが季節感をあいまいにしたと思われる。

いろいろな事が判明し、すっきりした。
それとともに、1970年代は、こんなに昔のことになったんだなぁ、思う。

インターネットで地震のページを読むうちに、日本が地震国であることを思い知らされる。
そして、最近、地震への対策を怠っていることに気づく。
これを機に防災対策をしてみるか。