162. がらにもなく絵について (2000.1.22)

実は、小学校から中学まで、絵を習っていた。
東京では「おえかき」と言うそうだが、うちの先生は「画塾」だ。
それがなまって、「がじゅぐ」と言う。
「おえかき」よりも「がじゅぐ」の方が、硬派な感じがする。

小学校低学年は、先生にお話を読んでもらって、その中から気に入った場面を想像で描く。
想像力がないと描けないが、先生がサンプル用に絵を貼っていてくれるから、それをまねてもよい。

不思議なもので、初めて描いた絵を今でも覚えている。
小学校にあがったばかりの私は、真新しいクレヨンで「砂浜にカニが遊ぶ絵」を描いた。

お話は、先生があらかじめテープレコーダーに録音しておいたのを聞かせる。
遅れて来た子のために、何度でもテープを回すから、最後までいる私は何度も聞く。

お話を聞くだけでも楽しいし、先生は絵に点数をつけない。全部の絵を平等に壁いっぱいに貼る。
それでも子供心に、「あれはうまいな」というのは感じるものだ。
先生は、何年か前に亡くなった。

先生の奥さんのことを「おばちゃん」と呼んで親しんだ。
生徒数も多かったのに、おばちゃんは、私のことを覚えている。
なぜならば、私は、描くのが遅かった。それも並々ならぬ遅さだ。

小学校高学年になると、人物像も描く。
モデルは生徒。モデルは、自分の顔を鏡に写して自画像を描く。その姿を他の生徒が描く。
私は、何度もモデルに指名された。
「先生、なんで、私がモデルなの?」と聞くと、
「一番先に来て、一番最後までいるから」だって。モデルとしてうってつけだった。

描くのが遅いのは折り紙付き。
しかし、一度として、せかされたことはない。

教室に、残り数人になると、先生は「ゆっくり描きなさい」と声をかけて自分の部屋に立ち去る。
描き終わったら、順番に「せんせ、おわりました」と声をかける。
先生は教室に戻って、ていねいに見てくれる。

「画塾」の生徒のほとんどは絵がうまかったが、私はさっぱりうまくならなかった。
絵の才能がないのだろう。
それでも「画塾」の空間が好きで、ずっと通った。

そして、とうとう、ただの一度だけ入選した。
その絵が卒業後も気仙沼中学校に残っていて、3つ下の弟が見せてもらったらしい。
唯一の自信作。

昨年から、ボケ防止のために、両親が絵を始めた。
なにを勘違いしたか、油絵もやっている。
決してうまいとは言えないが、味のある絵を描く。おもわず、笑顔になるような優しい絵を描く。
両親にもやっと、そういうゆとりが出来たんだな。