166. 寮の暮らし (2000.2.15)

短大の2年間を女子大の寮で過ごした。
1978年4月、両親と私の3人は、その前から泊まっているホテルを出ると、上智大学のそばの桜並木を、桜を見上げながら歩き、最寄り駅「赤坂見附」に着く。
丸の内線とバスを乗り継いで1時間弱で寮に着いたが、それは3人にとって、前途多難な長い道のりだった。

私の部屋は第2寮で、鉄筋の4階建て。別名:新寮ともいい、4人部屋だ。
他には、旧棟といって、木造建ての和室の部屋もある。そっちは5人部屋か6人部屋。
だから、ま、新寮でラッキーという感じだ。

4人部屋は、部屋の両側にロッカー・2段ベット・机が並ぶ。そこに入るだけの荷物を持って入る。
部屋には電気コンセントがない。電気を使う時は「裁縫室」に行く。
「裁縫室」にはアイロンやミシンを使うためのコンセントがある。
私達は洗った髪をかわかすために、毎晩、「裁縫室」でコンセントの順番待ちをした。

電話は、かける方は7台くらいあったが、受ける方は500人に対して3台しかない。
しかも、取り次ぎ時間は、決まっている。
たしか5時半〜9時だったように記憶している。電話は電話当番が受ける。

これが「チケットぴあ」よりも熾烈な戦いと言われた。
私の実家から電話をかける場合は、まず母がダイヤルをまわし、父がまわし、弟2人が順番でまわし、また母がまわし.....と永遠に繰り返したそうだ。
ちなみに、今と違って、あの黒のダイヤル式の電話だから、再ダイヤルなんて気のきいたボタンはない。
ダイヤルをまわしすぎて指が痛いと文句を言われる。

電話当番が電話を受けると、マイクを使って呼び出しをする。
「214号室のオヤマさ〜ん、お電話です〜〜〜」と部屋のスピーカーに流れる。
それを受けて、スタコラサッサと電話のあるロビーに向かう。
電話に出ると、まず第一声が、
「あんだ〜〜〜、大変だったでば〜〜〜、かがんね〜ごど(かからないわよ)」と文句を言われる。
それに「電話に出るのが遅い」とまで言われる。
「だって、部屋からロビーは遠いんだし、そんな事は学校に言ってくれ」と思うが、どうせラチがあかないから「それより用件は何?」と聞くわけだ。
用件のほとんどが、「元気にしているか?」とか「勉強はついていけているか?」とかそんな事だった。

運悪く、電話がかかった時に風呂に入っていたり、まだ帰っていなかったりすると、次に電話に出た時は100倍・大変だ。
「あんだだら〜、いづまでかづまで遊んでんだがぁぁぁぁ〜〜〜」
(あなたは、いったい何時になるまで遊んでるんですか!)とくる。

ちなみにかける方も、並んで待ってかけるから面倒だ。
食堂前の電話ボックス(というにはおこがましいが)には、いつも人が並んでいた。
今とちがって、キャッチホンのない時代だから、並んでかけたのに話し中だったりすると、また長い列の最後尾につける。
それがやっぱり9時だったか、9時半だったかになると、電話担当の先輩がやってきて、無情にも鍵をかけてしまう。

携帯電話がこれほどまでに普及した現代では、まったく考えられないよね。