41. 気仙沼弁講座(ツンテコヤ) (1998.12.29)

正月を迎えるために、実家にいる。
18年間、気仙沼で育ち、20年間、東京で暮らした。
東京で「気仙沼弁を話してみて」と言われると、ちょっと困る。見栄を張るわけではないが、とっさに方言は出ないものなんだ。
ところが、電話などで、両親と話すと途端に気仙沼弁になっているんだから、不思議だ。

方言でも、祖母の世代と、両親の世代と、われわれでは、微妙に異なる。
まして、今のガキどもの方言は、また違っているはずだから、いちがいに気仙沼弁と言っても、種類はさまざまである。まぁ、バージョン明治時代とか、バージョン戦前、バージョン戦後、という感じかな。
最新バージョンは、平成10年。来年は、世紀末バージョンが出ます。すごそぉ〜〜。

コギャル言葉を聞いてみると、日本語の流れの早さに、たまげる。
もしも、言葉に変化がなければ、「古典」という科目はなかったし、森鴎外や樋口一葉も、すらすら読めるはずだよね。

言葉ってのは、生ものだ。
今年一番の流行語「だっちゅうの」は、賞味期限が厳しそう。気をつけねば。

さぁ〜て、「ツンテコ・ツンテコ・ツンテコヤ〜♪」を御存じだろうか?
手をグー・パーに開いたり、閉じたりしながら、節をつけて、歌う。
効用は、半泣きの赤ちゃんが笑顔になる。
半泣き(ここが注意だな)の赤ちゃんの目の前で、「ツンテコ〜〜」をやると、おもわず笑顔になる。ただし、激しく泣叫ぶ赤ちゃんでやると、逆効果になるので、御注意いただきたい。

気仙沼弁というよりは、うちの父(と祖母)の子供のあやし方である。
これを甥っこ(3才)が、きっちりとまねをし、弟(1才)にやってあげる。
美しい兄弟愛。見ているおばちゃん(私)は、思わず涙ぐむ。しかし、これは、よそでも通用するのだろうか? わからない。

近頃、方言として、いばれることと、オヤマ家だけに伝わることの2つがあることに気付いた。
となると、私自身がきちんと気仙沼弁を学ぶ必要があるわけだな。