42. 片付ける (1998.12.30)

1998年もあとわずかだ。
今年を振り返る余裕もほしいところだが、この4日間、実家のそうじにおわれている。
まだ、終わらないから明日も作業は続くだろう。よほど広い家かと思われるだろうが、そんなことはない。

祖母と母は、片付けが大の苦手ときている。
それに加えて、祖母と父が入院、というアクシデントに見舞われた。
母は病院通い、と大義名分があるから、いよいよもって、すさまじい。

二代続けて、片付けが苦手という家庭環境で育った三姉弟は、やっぱり、片付けがヘタだ。
自分のそんな欠点は、気付かない。
弟の嫁から意見を聞いて、なるほど納得する。

オヤマ家では、引き出しがきっちり奥にしまわれていない、そうだ。
引き出しは、半開き状態で、何かが引っ掛かっている。
なぜ、半開き状態で終わりにするのか、不思議でしょうがない、と言う。たしかに、これはいかん。

それに、使い終わったものが、出しっ放しだ。これもいかん。

祖母と母は戦争体験者だから、なんでもとっておく。
寿司屋からもらった割り箸や、スーパーで余計にもらってくるビニール袋などは、使い切れないほどある。
古くなった紙袋を「燃えるゴミ袋」に集めたら、大きな袋に2つも出来てしまった。
いらない空き箱を集めたら、「燃えるゴミ袋」は巨大な山脈を築きあげる有り様だ。

さて、東京(新宿区)では、燃えるゴミと、燃えないゴミの2種類しかないが、気仙沼では、分類がきびしく、東京のようなやり方では、ゴミを持っていってくれないそうだ。
ゴミ分類ポスターが貼ってあるので、そのマニュアルに従って、ゴミを分ける。

この方式が採用になった時、オヤマ家から出したゴミ袋は、何度も置き去りにされた。
祖母と母が、ゴミ収集車の影から、持っていってもらえるかどうかを見守った。
しかし、無残にも置いていかれるゴミ袋を手に、
「どうして持っていってくれないんですか?」と涙ながらに訴えてみる。
もちろん、この役は、年老いたばあさんが担当し、同情を引こうとしたわけだが、反対にきっちりと注意されて、つっかえされた。
どんぶり方式のオヤマ家では、この分類には、今でも、神経をすり減らす。

弟は、嫁の影響を受け、少し収納上手になっている。
私も収納上手と言われたいものだ。

........ふむ、こんなことをインターネットに書いたことが知れると、おババ二人が、食ってかかるに違いない。
どうせ、2人は、インターネットをやるわきゃない、とは思っている。