48. 気 (1999.1.12)

「気」が充実していると、風邪もひかない。弱っていると、何もしたくない。
「何もしたくない」も、度が過ぎると、神経的病気になるらしいから、気をつけたい。
「気」のように、目に見えないものは、理解が難しい。

子供の頃、ひどく成績が悪かった。
まず小学1年で、「1+1=2」がわからない。何を言っているか理解できない。
それがわからないのだから、算数は全然できない。
しまいには、父が怒りながら、「とにかく、そういうもんだと覚えろ」「理屈はいらない」とやられた。
私は、泣きながら「にぃ〜〜」と言ったのを覚えている。
あとにも先にも、父に勉強をみてもらったのは、その時かぎりだ。

「1」って何? 「たす」ってどういうこと? そういうことを考えて、先に進めない。
大学で数学を教えているという人に、そのことを話してみたら、「それは深いなぁ」と言われた。
まぁ、酔った席の話で、あまり真に受けないでほしいし、そういう立場の人から見ると「深い」のかもしれないが、私は、ただ単に理解力が足りない。

同様に、授業の間じゅう、一人考え込む癖があった。

その例が、「電気の流れ」だ。
「流れる」のは水だと思い込んでいたから、「水以外のもの」が流れることに、ひっかっかってしまった。
「電気」という目に見えないものが「流れる」とくるから、「ゲゲゲ〜」私の想像の域を越えた。
理科の実験中、「どうしても、わからない」と先生に言うと、「ビビビッと来たか?」と言う。
「ビビビッと来た」と言うと、「それが電気の流れだ」そうで、このことが、不思議の紐をゆるめてくれた。
だから、松田聖子が「ビビビッ結婚」と書かれた時に、「電気の流れ」を思い出していた。

話がそれた。「気」の話だ。
気仙沼の音楽を愛する皆さんと忘年会をし、盛り上がった。
私は、家族に病人が出て、少し、しょぼくれていたのが、一気にふっとんだ。

勉強もしないで練習したであろうギターをかかえると、彼はミュージシャンになる。
居酒屋の2階がステージと化す。見えないスポットライトがギター少年を照らす。
私は、皆さんの「パワー」をわけてもらった。
「何かやろう!」という「気」になるから、不思議な・熱きパワーだ。

この「気」を、なんとか燃焼してみたい。