5. まぁるい月に見送られ... (1998.11.6)

上を向いて歩く癖がある。
プラス思考に思われるかもしれないが、デメリットの方が多い。
第一に、よくつまづいて、こける。電柱にぶつかることもある。
第二に、道端でお金を拾うなんて芸当は出来ない。

メリットは、新しい看板を発見するのが早い。夕暮れ時に月を見ることが多い。
これがメリットかどうかは、賛否両論わかれるところだが、おかげで、お月さんに感動することが多いんだ。

先日、やっぱり月はひとつだな、なんてあまりにも当然のことに感銘したりする。
それは、こうなんだ。11月3日は、見事な満月だった。
それを知り合いが見て、その感動をインターネットに掲載する。
それを読んだ別の知り合いが、「自分も見てたよ、見事だった」ってなことをインターネットに載せるんだ。
いかにも1998年らしい話じゃないかい。
だいたい「月が見事だった」なんて、実際の会話では話さないもんだよね。
その瞬間を共有した者だけの宝物だから。

そして、同じ月を私も見ていたのさ。
私の場合は、こうなんだ。
私はその日、里から東京に発つ日だった。
両親が一ノ関まで送るといい、本当の目的は、途中の前沢温泉に行くってことなんだけど、とにかく3人でドライブをした。

温泉にゆっくりとつかり、深まりゆく秋をドライブする。
すると、左側の窓に、まぁ〜るい大きな、大きな黄色い月が、雲の間に顔を出した。
空は、青から白に変わりつつある微妙な時間。
「お母さん、お月さんだよ」
「へぇ〜〜〜大きいねぇ〜〜」
運転する父は、ちらりと見て、また前を向く。

「こっちの道がすいている」とか「やだ、道を間違えた」なんて会話をしていると、お月さんも会話に参加するかのごとく、笑いながらついてくる。
さっきより、黄色く、少し上の方から、こちらを見てる。
「お母さん、お月さんがまだ見えるよ」
「へぇ〜〜〜きれいだね〜〜まんまるだね〜」

お月さんは、ずっとずっとついてくる。
「風邪ひかないようにね」
「今度はお正月かい」
私は車を降り、手を振る。

みどりの窓口で切符を買い、新幹線ホームで自由席に並ぶ。
空はすっかり暗くなり、黄色い月は、少し赤くなって、さっきよりずっと上の方から私を見ている。
両親にかわって、私を見送り続けているようだ。

新幹線に乗る。
気仙沼で出会った楽しい人達との、楽しい思い出を乗せて、新幹線は東京に向かう。
まぁるい月も一緒に東京までついて来る。
私の家までついて来た。
新宿の高層ビルの間にいるお月さんは、ちょいと窮屈そうにしている。