76. 7年しか違わないのに... (1999.4.30)

弟が2人いる。
私と末の弟は7つ違う。この7年がくせものだ。
同じオヤマ家に育ちながら、末の弟は、私の事をいにしえの人、だと思っている。
「え? それ何時代のこと?」って結構マジできいてくる。

その理由は、昭和30年代から40年にかけて、オヤマ家が大きく変貌をとげたことにあると思う。いや、日本じゅうが変わったのではないだろうか?

実家は商家で、住み込みの人がいた。
祖父母・両親・父の弟と妹(4人)、住み込みの人が5人くらいと、結構な人数だ。
家は広くない。だから川の字になって寝る。
私は、両親の間か、祖父母の間に文字どおり「川」の真ん中の小さな「|」になって眠った。

風呂の順番は決まっている。
まず、祖父が入り、次にばあさんが私と3つ違いの弟を入れてくれる。それから父の妹達が入り....と続く。
風呂は、大人3人がゆったり入れる広さだ。
これが後になると、広すぎて寒いと不評になり、小さく直した。

さて、祖母が私と弟の頭を洗うのだが、容赦しない。
「目をつぶれ」「バシャー」だ。
私と弟が目をつぶるか、つぶらないうちに、湯をバシャーっとかける。
「ビー・目に入ったよぉ」
毎回、これを繰り返す。

あんまりビービー泣くから、祖母はシャンプーハットを買って来た。
シャンプーハットといって通じる方は、私と同世代ですな(笑)
帽子のように頭にかぶる。ひさしがついていて、目をあいていても水やシャンプーが目に入らない。
その状態で頭を洗う。

ところが、弟は頭が大きくて、シャンプーハットが入らない。
一番大きなやつでもダメ。
ホント、弟の頭は大きかった。3つ上の私の頭には入ったのに...(って、これ読んでないよね?>弟)。
なにしろ、風呂の順番が決まっていて、後が控えているから忙しい。
その上、ばあさんは、私達を湯船で遊ばせながら、自分の下着をササッと洗濯してしまうあたりは、さすがだ。

さて当時、お手伝いのかずちゃんも住んでいた。
私の面倒を見てくれたが、私が小学校にあがる年に嫁に行ってしまった。
嫁ぎ先の化粧坂あたりを通ると、いまだに胸がキュンとなり、別れの記憶が蘇る。

昭和40年代は、同居人が相次いで結婚しオヤマ家を出る。
日本は高度成長にわく。
末の弟にとって、風呂の順番やお手伝いさんがいた話は、別世界の出来事のようだ。

たった7年でオヤマ家をとりまく環境も変わったが、それ以上に日本が変貌し始めたのかもしれない。

つづく...