131. 弁当の思い出 (1999.9.19)

秋の行楽シーズンだ。お弁当を持ってどこかへ行こう〜。
弁当には、いろいろな思い出がある。
今でこそ、「オヤマはいじめっ子だったろう?」と聞かれるが、実際には、いじめられっ子の分類だった。
小さくて、おとなしく、かよわかった(え・信じられない?)。

幼稚園には、「ぶーふーうーの弁当箱」を持って行った。
食が細い私は、小さな弁当箱に、スカスカに入った弁当さえも残してしまう。
すると、いじめっ子がやってきて、「あ〜〜、先生〜、残してま〜す」と叫ぶ。
「ぜんぶ、食べねくてわがんねんだぞ」と隣に座り、見張る。
いじめっ子が目を離したすきに、蓋をし「食べたおん(半ベソ)」と、これを毎日、繰り返す。

母に少しだけ入れてほしい、と頼むのだが、
「だ〜れ、いっぺ食べねくて、おっきぐなれねんだよ」と厳しい。
そんなわけで、幼稚園の弁当時間は、恐怖の時間でもあり、やけに鮮明に覚えている。

最近の幼稚園児の弁当は、カラフルだし、材料を使って顔を描いたりするそうだ。
テレビで、そんな番組を見たことがあるし、弁当のための料理本も出ている。
きれいな弁当じゃないと、それはそれでいじめられるだろうな。

中学になると、再び弁当になるのだが、これが地味な色あいなんだ。
前日にお煮しめを作ると、タッパいっぱいにお煮しめが入っている。
蓋を開ける前から、茶色だな、と嫌な予感はある。

「お母さん、おかずにいろんなものを入れてよ。だ〜れ、お煮しめばり〜」と抗議すると、
「いろんなものが入ってるっちゃ。にんじん、こんにゃく、こんぶに椎茸....」
ということで、これが正しいと信じている母は、結構、お煮しめ弁当を作る。
ま、もっとも手間がかからないわけだから、楽なんだ。

さて、うちでは祖父の月命日をやるし、そんな行事ごとがあると、朝から「いなり寿司」や「おはぎ」を作る。
正確にいえば、「いなり寿司にお煮しめと漬け物」「おはぎと漬け物」などの組み合わせだ。
そんな日は、弁当を作る段になって、弁当用のおかずがないことに気づく。
母は、「おいなりさん持っていがいん」
「え〜、それしかないのぉ?」
「ない」

というので、しぶしぶ、いなり寿司(だけ)をつめる。
すると、意外にもこれが友人に好評で、ブツブツ交換が始まった。
「リ〜、私にもおいなりさん頂戴、かわりに鶏のからあげをどうぞ」ってな感じだ。
これは、ラッキー。
そこで、いなり寿司やおはぎの時は、大量に持っていくようになった。
高校の時には、五目ご飯で作ったおにぎりを相当数、持っていく。
これは最も評判が高い。

ま、それは女同士だから出来たわけなんだが、母は同じ事を弟にもやり、さんざん抗議を受けることになった。
「だ〜れ、ブツブツ交換なんて女みで〜なごど、やんねよ」
末の弟の時代は、カラフルな弁当が始まりつつあり、うちのお煮しめは、ことさら恥ずかしかったようだ。

つづく...